にっしん(@nisi_otabloger)です。
7月は七夕の季節ですが、七夕と聞くと何をイメージするでしょうか?
- 彦星と織姫が会える日
- 笹に短冊を吊るして願い事をする日
でしょうか。
実際は「七夕(たなばた)」ではなく、「七夕の節句(しちせきのせっく)」というのはご存知でしょうか。
「端午の節句」は5月5日で「こどもの日」ですが、それと同じ感じです。
そして、その七夕の節句では「素麺(そうめん)」を食べるそうです。節句の話といい、知りませんでした^^;
なので今回は七夕の節句とその食べ物についてまとめました。
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七夕の節句にはなぜ素麺なのか?
素麺(そうめん)の理由は色々見ていくと、「天の川に見立てた」という説があるそうですが、これは後付けであり、元々は麦でできた甘いお菓子で、それがそうめんになったようです。
そのお菓子は今で言うかりんとうのような「索餅(さくべい)」というもので、ねじって作り、それを揚げたものでした。
索餅に似たものはこちらがあり、イメージとしてはこんな感じでしょう。
今のかりんとうとは形状は異なりますが、七夕の時期に食べられてたとは意外ですよね。
そう思うと、かりんとうの歴史も非常に長いということがわかりますね。
中国で昔、若くして王子が7月7日になくなり、その後大きな祟りとして熱病が流行ったため、それを収めるためにその王子の好物の索餅(さくべい)を収めたところ、祟りが収まったのが始まりのようです。
素麺は日本の文化だった
後述しますが、今の七夕は日本のオリジナルですが、元々は中国や韓国の文化で、それを日本の文化と合わせてできたものです。
素麺もそのひとつで、素麺と索餅(さくべい)が混同され、素麺が織姫を連想させる糸に似ていたことから素麺になったようです。
糸を連想させるのは後述しますが、織姫の星が裁縫をつかさどる星であることから裁縫に使う糸を連想させるということです。
そしてお中元は一般的に7月15日ごろなので、素麺がお中元に選ばれるのはこのためです。
ただ、これは一説で他にも
- 素麺が天の川をイメージした
- 夏の体力消耗に備えて食べるようになった
- 原料となる小麦の収穫の報告
が起源という説もあります。
他の説で考えると、お中元で贈るのは贈り先の健康を祈ってという意図もあるかもしれませんね。
素麺を買うとたまに赤いのや緑色のがありますよね。あれに当たるとちょっとラッキーって思いませんでしたか?僕は思っていてそれをよく取ってました(笑)
実はあれ、意味があって、厄除けの意味で取り入れられていました。
陰陽五行説に由来して「青・赤・黄・白・黒」にちなんだものになっています。
緑の麺は青に対応するものですね。緑を青と呼んだりしますから。青は食欲減退の色なので緑が適切でしょう。
白は元々の色でしょうし、それを考えるとほかに黄色と黒があるということですね。そして、短冊の色もこの色に合わせられています。
七夕はいつから始まったのか?
中国や韓国での習わしが、日本の風習と合わさって今の形になったそうです。
日本のは色々な文化を合わせて、オリジナルの文化を作ったということですね。最初の頃は貴族たちの間での宮中行事でした。
今のような短冊を笹に吊るしたりするのは、江戸時代のようで、五節供(五節句)が定められて以降とされています。
もともとは「節供」と書いていましたが「節句」となりました。なぜ変わったのかは不明ですが、当て字と民俗学者の柳田國男さんは指摘しています。
一般的には7月7日ですが、北海道や七夕祭りで有名な仙台では8月7日です。
これは7月7日が旧暦だからで、今で言うと1ヶ月以上先の8月中旬ごろにあたるからです。
五節句とは?
先ほど出てきた五節句について簡単に紹介しますと、5月5日の「端午の節句(たんごのせっく)」を代表に文字通り五つあります。
1月7日:人日(じんじつ)(七草)の節句
3月3日:上巳(じょうし)(桃)の節句
5月5日:端午(たんご)(菖蒲、あやめ)の節句
7月7日:七夕(しちせき)(笹)の節句
9月9日:重陽(ちょうよう)(菊)の節句
これが五節句で、これも元は中国です。日本では奈良時代に伝わり、貴族たちの宮中行事になったそうです。
これを考えると、こどもの日といい、本当に歴史があるということですね。
七夕はお盆の行事でもあった?
旧暦7月7日はお盆の時期で、貴族の行事だった頃は七夕の夜に先祖にお供え物をしたり、願い事をしました。
そして翌朝、願い事を紙に書き、川に流してお祈りをしていたそうです。
これをみると、昔の七夕は、今の七夕とお盆を合体させた行事だったのかもしれません。
というか、本来は同じ行事で、7月と8月に分けたために分離されたのかもしれませんね。
あとはよく知られている、短冊に願い事などを書くこともされており、江戸時代には短冊に詩歌を書いて笹竹を軒先に立てる風習が浸透したそうです。
他にも行事があったのか?
織姫にちなんだ「こと座」は裁縫をつかさどる星と考えられていました。
ここから、乞巧奠(きっこうでん)という裁縫が上達するように願って、庭先に針や糸などの裁縫道具を備えた行事が行われていました。
ちなみに、織姫・彦星を英語圏での呼び方は、ベガ(織姫)とアルタイル(彦星)です。
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なぜ「たなばた」と言われるようになったのか?
これは七夕の時期に行われた日本の文化で、女性が神様のために着物を着る「棚機津女(たなばたつめ)」という神事がありました。
この棚機(たなばた)という読みを、中国から来た「七夕(しちせき)」に当てたと言われています。
日本人は結構そういうのが多いうですね。梅雨(ばいう)を「つゆ」と呼ぶようになったのも似ていて、日本での文化です。
そういうのが分かると、日本人って昔から名前を付けたりすることにユーモアがあるのかなと感じますね。
そして、他の文化を上手く自分たちの中に取り込むのも上手いのかもしれませんね。
七夕の飾りには何をつけるか?
おそらく地域によって飾り付けが異なるかこしれませんが、短冊以外に、
- 巾着(金運上昇)
- 屑篭(くずかご)(整理整頓、物を大切にする)
- 折り鶴(健康・長寿)
などを飾ります。
それぞれ( )内に書いた通り、そういった願いを祈って飾り付けられています。
なんで短冊を飾るのに使ったのは笹なの?
笹は以下の点で使われていたようです。
- 生命力や成長が早い
- 中が空洞になっているので神様が宿っているとも考えられていた
- まっすぐ伸びることから天に向かって伸びていると考えられていた
笹の中にいるものでは、かぐや姫がいい例ですよね
こういった点から、「笹の節句」とも言われています。
北海道のように笹が手に入りにくい所では柳が使われている所もあります。
まとめ
七夕の事について色々とまとめました。
七夕は「こどもの日」、要は「端午の節句」と同じ位置づけで、昔はお盆と同じような位置づけだったようです。
食べ物が素麺になったのは元からではなく、「索餅(さくべい)」というかりんとうのようなものから来ています。
そして、「たなばた」という読みは「棚機津女(たなばたつめ)」という神様にのために着物を織る女性から来ている事も分かりました。
七夕ひとつ取っても色々な事が分かりますね。次、七夕でイベントなどがある時は今のような事を考えながら過ごすとより充実した時間になるかもしれませんね^^
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