にっしん(@nisi_otabloger)です。
夏の風物詩のひとつといえば花火ですが、その花火はいつから始まったのかとふと疑問に思いました。
恐らくですが、花火が一番発達しているのは日本だと思っていました。
調べてみると確かに日本の花火文化は非常に発達していると思いましたが、色々な事が分かりました。
花火を打ち上げた時に「たーまーやー」って言う理由もここで分かるようになります。
ですので今回は歴史を中心に色々と調べてみました。
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記録上は室町時代
調べてみるとかなり歴史のあるものだとわかりました。
日本で一番最初に使われたのはいつでどこかは定かになっていないようですが、記録上は室町時代の公家である万里小路時房(までのこうじ ときふさ)の日記の「建内記(けんないき)(建聖院内府記)」に記載されているものが最古の記録となっているようです。
その日記の1447年5月5日の項目に唐人(からびと)という中国や朝鮮から来た人が、ねずみ花火や手に持つ花火を披露したことが記載されています。
室町時代では日明貿易によって色々なものが運ばれたようですが、花火もそのひとつのようで、日本での花火の歴史は室町時代と考えることができそうですね。
その後、戦国時代に鉄砲、火薬とともに花火も伝来され、日本で製造されるようになったようです。
今わかっているレベルでは
- 日本で花火が知られたのは室町時代
- 戦国時代には製造された可能性がある
ということですね。
最初に花火を考えた人はすごいなと思いますが、こんなに前から作られていたんですね。
戦国時代以降の花火
戦国時代以降は、1582年にポルトガル人のイエズス会宣教師が大分県の聖堂で花火をしたという記録があります。
これはキリシタンを増やすためのイベントで、記録では復活徹夜祭ので行われたイベントのようです。
復活徹夜祭とは、聖土曜日(キリスト教での言葉で復活祭前日の土曜日。復活祭は毎年3~5月の間に行われる)の夜から明け方に行われるイベントです。
その復活徹夜祭で、城に作られたやぐらから花火が出てくる仕掛けをして、空中で色々な形になるような花火を打ち上げていることから、打ち上げ花火と思われるようなものがこの時代からあったということですね。
厳密には打ち上げ花火とは違うかもしれませんし、今のイメージの花火が可能になったのはもっと先の話ですが、多くの人に花火を見せるという考え方がこの時代にすでにあったということは言えますね。
それ以降も伊達政宗や徳川家康が見物したという記載があります。
日本独自で作られた花火の歴史
最初の花火は持ち込まれたもののようで、その技術を利用して日本独自で作られたのはいつかというのはわかっていないようですが、復活徹夜祭の頃には作られたと考えられています。
戦国時代は戦でも鉄砲が使われたので、そのために火薬の大量生産が行われました。
それと合わせて、花火の製作も行われたと考えられています。
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花火文化の成長は江戸時代
色々な書物を総合すると、最初に現代につながる花火を最初に見たのは徳川家康だそうです。
1613年にイギリス国王の使者として日本を訪れたジョン・セーリスという人に花火を見せたようです。
徳川幕府によって唯一公式に火薬製造と保存を許可された三河地方は今でも製造業や問屋が多く、江戸時代に花火が発達したと考えることができそうです。
江戸時代以降の花火の歴史
江戸時代になると、花火を専門に扱う業者が出てきました。
当時から花火は人気で、その当時はネズミ花火などのおもちゃ花火だったようですが、花火は下手をすると危ないもので、決まりを作ろうという意識はあったんですね。
そのためか、1648年には幕府が隅田川以外で花火の使用を禁じていました。
もしかすると、色々な所で花火で事故が起こっていたかもしれませんし、実際に打ち上げ事故により禁令が出たりもしたようです。
実際に今でも、花火が原因の火災がありますし、最近だと2017年にアメリカで大火事が起こりましたので、花火には注意が必要だというのが分かりますね。
今でも続く花火業者の誕生
1659年に「鍵屋」という花火専門業者がおもちゃ花火を売りだしました。
これが最古の花火業者で、現代まで世襲制で続いています。2013年から鍵屋は打ち上げ専用業者となりましたが、今でもその技術は受け継がれているようです。
鍵屋は大型花火の研究を進めて、
1717年には、水神祭で献上花火を打ち上げ、
1733年には、飢餓やコレラによる死者の慰霊と悪霊退散を祈るために花火を披露しました。
1733年のイベントは、隅田川の川開きの花火の起源になったと言われています。
そして、打ち上げ花火は1751年に開発されたと考えられています。
1810年に鍵屋から暖簾分けという形で「玉屋」が誕生し、江戸時代は花火が発達する時代になりました。
鍵屋と玉屋は花火大会で競い合い
「たーまーやー」
「かーぎーやー」
という掛け声はここからきているようです。「たーまーやー」の方がメジャーでしょうね。
色々調べて「たーまーやー」みたいですが、「たーまやー」じゃないのかなって思ったり(笑)途中で変わったんですかね。
ちょっとその辺はわからなかったです。
そして、この鍵屋と玉屋が二大花火業者となっていて、当時は今も残っている「たーまーやー」だけに、後からできた玉屋の方が人気だったようですが、1843年に玉屋から失火しました。
店だけでなく、近隣の家屋も焼いてしまい、当時は失火は重罪とされたので、最終的に財産没収、江戸追放の処分を受けて玉屋はなくなりました。
33年で一代でなくなった玉屋ですが、インパクトは強かったんでしょう。
町人花火と武家花火
鍵屋のような花火専門業者の作る花火は「町人花火」と呼ばれました。
他にも大名らが配下の火薬職人に競って作らせた花火もあり、これを「武家花火」といいます。
武家花火は中国の明の時代(1368~1644)に発達した火槍(かそう:槍に火薬を付けて飛ぶようにした火薬兵器)などの噴出技術を応用されたもので、戦に用いる信号弾が進化したものです。
「狼煙花火(のろしはなび)」という、色や形など魅せることに重点的にした町人花火と異なり垂直方向に飛ぶ点では町人花火と方向性は異なったものでした。
現代では、両者の違いをうまく取り入れているようです。
中でも当時、尾張藩、紀州藩、水戸藩の徳川御三家は火薬製造の規制されなかったことから、花火製造が盛んで「御三家花火」と呼ばれました。
他にも、仙台の伊達家も仙台河岸の花火として人気があったようです。
この頃に花火関連の事故があり、押しかけた見物人によって今の東京の江東区にある萬年橋の欄干が折れ、死者が出る事故が起きています。
それだけ、人気で人々を楽しませていたということがわかりますが、今も昔も人が押し寄せて事故が起きてしまうということがあるんですね。
そして仙台以外にも、
- 九州
- 長野
- 愛知
でも江戸時代から花火が作られました。全国的に花火が人気になった時期でもあるんでしょうね。それだけ人々を魅了したということですね。
今でいえば、プロジェクションマッピングのようなものかもしれませんね。
他にも徳川家にゆかりのある地域では花火の製造が盛んだったようです。
明治時代以降の花火の歴史
明治時代以降は海外からアルミニウムやストロンチウム、バリウムなどの炎色反応を示す金属が輸入されたことで色彩豊かな花火の製造が可能になりました。
そのため、化学薬品に対する知識不足による重大な事故を招いたりしたのもこの時期だったようです。
金属の導入から花火も進化し、1889年には大日本帝国憲法発布の祝賀行事の一環として、色彩豊かな花火を打ち上げた記録が残っています。
この明治時代以降の色彩豊かな花火を「洋火」、それ以前の花火を「和火」と呼びます。
その後、危険性などを考えて、1910年には打ち上げ花火の製造が許可制になりました。
大正期には、マグネシウムやアルミニウムなどの金属粉により夜空に鮮やかな花火を発するようになり、赤爆という大きな音を発する花火も完成しました。
時代は昭和になり、戦争が激化する中で花火は高い物品税をかけられたりしたことで、出征兵士壮行のためなど特別な時以外は使われなくなり、製造業者は防空演習で使用する発煙筒などを製造していました。
戦後、GHQ(連合国軍総司令部)により禁止されましたが、粘り強く説得し、1948年には在庫している花火の消費を許可されました。
この歳に両国の川開きの花火大会が復活しています。そして今では、日本の夏の風物詩となっています。
このように、花火は非常に長い歴史を持っています。日本では600年近い歴史があり、非常に長いことがわかりますね。
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世界的にみる本当に最初の花火は?
日本では室町時代ですが、世界的にはいつからかも気になるところですね。
世界的には、もっと昔で紀元前3世紀の古代中国で、火薬の基礎となる硝石が発見されてからと言われています。
3世紀の漢の時代に万里の長城での通信手段として使われていて、
その後、960年から150年以上続いた北栄時代には火薬を使った武器が登場しています。
そして12世紀中頃に、花火の原型と言えるようなものが誕生しています。6世紀には誕生しているとも言われているようですが、どういったものを花火とするのかなどで意見は変わるのでしょう。
それが13世紀にアラビア商人によりイスラム諸国へ、そしてヨーロッパに伝わります。
当時のヨーロッパでは花火は観賞用ではなく、王の権力誇示のために利用されていたようです。
日本には15世紀ごろなので、500~600年の間に世界に広がったということですね。
まとめ
本当に長い歴史でしたね。
年表としてまとめると以下のようになります。
1447年 唐人によりねずみ花火や手に持つ花火を披露された
1582年 ポルトガル人のイエズス会宣教師が大分県の聖堂で花火をした
1613年 イギリス国王の使者として日本を訪れたジョン・セーリスに花火を見せた
1648年 幕府が隅田川以外で花火の使用を禁じた
1659年 鍵屋誕生
1717年 水神祭で献上花火を打ち上げ
1733年 飢餓やコレラによる死者の慰霊と悪霊退散を祈るために花火を披露
1810年 鍵屋から暖簾分けという形で「玉屋」が誕生
1843年 玉屋から失火、廃業
1889年 大日本帝国憲法発布の祝賀行事の一環として、花火を打ち上げられた
1910年 打ち上げ花火の製造が許可制に
戦中 花火に高い物品税がかけられ使用が制限された
1948年 GHQが使用を禁止していた在庫している花火の消費を許可
もちろん、この年表の間にもいろいろなイベントはあったと思います。
ですが、これだけでもかなりの歴史を感じることができますね。
花火を自ら楽しんだ時、大会などで見た時はこういった歴史を考えながら見るのも楽しいかもしれませんね。
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