にっしん(@nisi_otabloger)です。
僕は紛れもなくオタクで、基本的にゲームやアニメが好きです。
行動量的にハマったのはポケモンで、今も好きですが、ポケモンのために北海道から東京などのイベントに参加したりしていました。
「ポケモンセンター」というお店を最短で回るために、ほぼ日本一周みたいな事もしていました。
それも3年間も。我ながらよくやったと思っています(笑)
そのため、恐らく行動量や行動距離に関しては当時は他の人よりは多いと自負しています。
今は、対象が変わりましたが、やはりオタクです。僕の好きなものの対象を聞けばみんながオタクと言うでしょう(笑)
ですが、僕個人の意見として
「オタクこそカッコよくなくてはいけない!」
という謎の自負があり、行動や服装はそこそこ気にしていました。
センスがあるとは個人的に思っていませんが、少なくとも「ダサい」とは言われないようにしているつもりです。
ですが、その場合「隠れオタク」になっちゃうんですよねー。
「本当はオタクなのに…」
と思っていても、オタバレ(オタクがバレる事)を恐れて隠そうとしちゃうんですよね。
要はバレて、偏見の目で見られたりするのが嫌なんですよね。特に仕事だと支障が出るので、確実に隠さないといけません。
なので、地元や近場でイベントがあれば警戒します。はい、小心者ですよ(笑)
ですが、それなりに考えがあっての事で、実際にオタクのイメージ、そしてあなたがオタクの場合どう行動するのが理想か。
僕の経験も交えながら解説していきます。
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そもそも「オタク」ってなに?
「オタクとは何か?」という質問に明確にあなたは答えられますか?
たぶん、答えに困るのではないでしょうか。
オタクとは、もともと1970年代から呼ばれて、その愛好者同士で「お宅」と相手の事を呼んでいた事から生まれたそうです。
今は呼ばれていない気もしますが(少なくとも僕や僕の周りでも言ったりしません)「オタッキー」と呼ばれたりした時もありましたね。
「フリーク」ともいう時もあるでしょうか。
ジャンルは問わず、そのことに対しての愛が強い人や異常なまでに詳しい人を「オタク」と呼んだりします。
なので、「どこからどこまでがオタク」というのはないでしょう。
オタクの範囲と深さの定義はあいまい
範囲は先ほども、対象への愛(好きの度合いの強さ)であったり、知識に対してですが、「深さ」もあります。
どういうことかというと、本当にオタクの度合いの強い人からは、レベル的に「好き」のレベルは「オタク」とは言わないということです。
ちまたで言われる「にわか」という事です。「にわか」とは「オタク」の人たちからしたら好きの度合いが低い人たちの事を指します。
よくあるのは、どこかリアルが充実していて、おしゃれな人がギャップを見せて魅力をアピールするために「オタク」と言う場合でしょうか。
その場合、実際、色々聞くとよくわからないリアクションを取ったりします。愛の強い人からしたら、その中途半端なのを許さない人たちもいます。
個人的な意見ですが、やはり「オタク」は好きより上の上級レベルなので、軽々しく使う人を見るとあまりいい気はしません。
何故かというと、「どこまで深く掘り進めばOKなのか」というのは定義できませんが、本当に好きなら知識はある程度あるのは当たり前(自然と覚える)し、イベントなどに足を運んでいるはずです。
それがないのは、「オタク」と呼んでいる対象を軽く見ているように感じます。
そして、その「オタク」の人たちはその対象を大切に思うので、軽くみられるのは、自分が馬鹿にされたのと同じ心理になります。
「なにそれ、意味不明」って思うかもしれませんが、そういう認識を持っている人達もいますし僕も何だかんだオタクなので気持ちが分かります。
話は戻って、定義はあいまいですが、
「オタク」=「好き」の度合いを超えている
と解釈していいのではと思います。
もちろん、いろいろ意見があるでしょうが、あいまいなだけに、絶対正解の定義はないはずなので、それぞれの解釈があれば良いのかなと思います。
ただ、押しつけは良くないので、仲良くやりつつも、オタクでない人もオタクの人の事を理解するように努めることも大切だとは思います。
オタクの定義がある程度わかったところで、
「じゃあ昔のオタクはどうなんだよ?」
って思うでしょう。
昔のオタクのイメージというのはどういったものか紹介します。
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昔のオタクは「電車男」
オタク文化が色々な人に知られることになったキッカケの1つが「電車男」でしょう。
もともとは「2ちゃんねる」の掲示板に恋愛相談したことがキッカケになって、リアルで会った事のないネットの住民たちと協力して恋を成就したスト-リーでした。
2004年に書籍化して、映画化もして話題になりましたね。その「電車男」で登場する主人公の人の服装が良い例です。
昔のオタク=ファッションがダサい
昔のオタクのイメージの代表例はファッションでしょう。僕もオタクなので言える部分はありますが、色々箇条書きにすると以下のような事が言えます。
- シャツをパンツにインしている。シャツは母親から買ってもらったもの
- パンツはケミカルウォッシュのジーンズ(最近ややメジャーになっていますが、当時はダサいイメージでした)
- 靴はハイテクスニーカー(小学生男子が履いているような感じのスニーカー)
- リュックサックとポシェットをしている
- リュックサックからポスターが出ている(いわゆる「ビームサーベル」)
イメージはこんな感じですね。
こき下ろすような書き方で心苦しいんですが、「電車男」で出てきた主人公はこんな感じでした。
ただ、アイドル系だとサイリウムは今も割と当たり前で、むしろライブで無いと浮くくらいですが、イメージはこんな感じで間違っていないと思います。
Twitterでも探していると、こういった投稿をされている方もいました。
一年間ありがとうございました!来年もまた参加させて頂きます^^#ヒゲ版深夜の真剣お絵描き60分一本勝負
お題 【オタク】 【リュック】
昔のオタクのイメージですw pic.twitter.com/vpavKKwGD1— タカマサ (@taka_masa0103) 2018年12月30日
イラストを見て「うんうん、昔のオタクのイメージはこんな感じ」って思いました(笑)
行動も「いかにも」って感じがある
行動も、
- 目を合わせない
- 周りが見えないような行動をとる
- 自分の好きな事になるとマシンガンのごとく話す
などといった特徴があるでしょうか。
今もそういう人はいますが、やはり少数になったように感じます。
僕もオタクなので、同じ仲間は何となく感じるものがありますが(笑)、全くそうと感じない人もいるので、これも少数派になった感じがします。
昔のイメージが過去の産物になったのはなぜか?
それは、やはり「インターネットが一般的になって、情報の伝わり方が変化した」からだと思います。
「電車男」の時代(2004年ごろ)は、「ネット掲示板に書き込むなんてオタクのする事」くらいな印象でした。
今ではTwitterがあり、何かをネットに書き込むのは当たり前ですが、Twitterは2006年から始まり、日本版は2008年からなので、
「何かをネットに書きこむ」
というのは一般的な時代ではありませんでした。
自分で情報発信するにも、ブログは一般的ではなく、「ホームページ」というものを作成して発信しており、ホームページを作成する人なんて珍しかったです。
僕も大学生の時、オタク関連のサイトを運営していましたが、僕の周りでホームページを作成している人はいませんでした。
今はブログやFacebook、Twitter、インスタグラムなどがあるので、個人が発信するのは手軽で当たり前な時代ですね。
そこから考えても、情報の伝わりやすさは、大きく異なると言えます。
その情報の速さが、
オタクの人にファッションや行動にも影響を与え
オタクでない人もオタク文化に触れて、オタクになる
といった事が起きたのではないかと個人的には思います。
それが、「オタクでない人」と「オタクの人」とが均一になった事につながったと言えるでしょう。
これに関してもTwitterを見ていて、「なるほどな」と思った投稿がありました。
作家の森博嗣さんの、「自分探しと楽しさについて」という作品がある。
昔のオタクと今のオタクの比較をしているページがあり、面白いと思った。
昔のオタクは自分の情報量を高める事で他のオタクと対立していた。
しかし、今のオタクは、膨大な情報が身近なのでそうする事に無意味さを感じるらしい。— 花菜子 (@kanako_ibrk) 2019年1月5日
情報化社会の今だからこそ感じられることですよね。今のオタクと昔のオタクは、変な言い方、「別人種」と言っても良いかもしれません。
オタク=非リア充か?今の時代のオタクとは
先ほど書いた通り、オタクのイメージは
- 服装がダサい、シャツをジーンズにインしている
- ポシェットを付けている
- リュックから筒(ポスター)が出ている(「ビームサーベル」)
のような感じですが、今は秋葉原に行ってもそんな人は見かけません。
東京に行ったら必ず秋葉原は行きますが、そんな人を見つける方が大変です。今もいると思っているのは、日本人は今もちょんまげに刀さしてると思っているのと一緒なくらいです(笑)
まあ、せいぜいいても1割もいないと思います。ファッションに関しては無頓着だなと思う人もいますが、致命的ってレベルでもない人が多いです。
そして、好きなものつながりで、学生さんと話すこともありますが、端から見るといたって普通の学生でとてもオタクには見えません。
流れとして、近年は「リア充」(リアルが充実している人)との共存、共立が出来ていると感じます。
ここは先ほどの部分と重複しますが、インターネットが当たり前になったのもあるでしょうか。情報を上手く活用して、
オタクの人もファッションなどに気を遣い
オタクでない人も、サブカルチャーに興味をもったり
と、歩み寄るのとは違うかもしれませんが、お互いの要素を上手く取り入れている時代なのではないでしょうか。
定着と世界へのアピール
色々な要素で定着したように思います。
- インターネットの普及(検索への抵抗がなくなった)
- アイドルなど、女性から「オタク」という言葉が呼ばれるようになった。
- 「日本発信」として「オタク文化」を世界にアピールした
といった事があげられるでしょうか。
オタクにマイナスイメージがない?
昔は「オタク」というとマイナスイメージが強かったです。
今でもそういう考えの人もいますが、今はより少なくなったようにも思います。現に6割以上がマイナスイメージがないという調査もあるくらいです。
後押ししているのはネット社会なのではないでしょうか。
今やいろいろなコンテンツであふれていて、様々なものに触れて、興味を持つものも人それぞれ。
そのため、何に興味を持っていても、その多様性を認めようという文化があるように感じます。
「好きなものは人それぞれあっていい」といった考えの人が増えているのでしょうね。
ただ、何が対象かによっても分かれますので、オタクが全員受け入れられているわけではないというのも事実です。
だからこそリア充オタクも増えている
そんないろいろなものが混ざった文化だからこそ、オタクとしての活動もしているけど、私生活も充実しているという人も出てきてもおかしくありません。
むしろ、カップルでオタクで、それぞれ好きなものが違ったり、または同じのが好きで付き合ったりしているカップルもいます。
ちなみに僕の奥さんもそんな感じで、オタク夫婦と言えます。
「オタク女子」が増えているのと同時に、カップルで秋葉原やイベントに参加したりなどが増えてきたようにも感じます。
ですが、自らがオタクであることを隠している人もいて、そういった場合、一番恐れているのはオタクであることがバレる(「オタバレ」といいます)事です。
ちなみに僕もそうです。後ろめたい思いは特にありませんが、仕事仲間には隠してます(笑)
でも、自分と距離の近い恋人がオタクであるなら、オタバレしてもお互い様なので関係ないですね。
オタバレで、別れにつながるケースもあるので、オタバレを気にしている人にとってはオタクの恋人は最高の相手と言えます。
(デートで僕がアニメやゲームが好きと言ってから会えなくなった子もいるのでなおさらですね(笑))
オタバレしないように隠している場合、有休をとってイベントに参加する時が大変です(笑)
僕は
- 旅行
- 友達に会いに行く
- 興味のある事の勉強に行く
と理由をつけたりしています。
どんな事を下か詮索されるのが一番困ります。だって、ライブやイベントに参加して、それが終わればどこにも行かずに帰るんだから(笑)
ちなみに僕の場合は、日本の主要都市は20代の頃に普通に旅行しているので、特に回りたいところはなかったりします(笑)
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でもなぜオタクは嫌われるのか?
今まではポジティブ寄りに書いてきましたし、オタクにネガティブイメージがないという統計もある事はわかりますが、個人的にはネガティブよりだと思っています。
僕もオタクなので悪く書くのはどうかと思いますが、
実際自分が経験したこと
冒頭でも書いた「オタクだからこそ立ち居振る舞いに気を付けるべき」
という考えが基にあるからです。
なぜ僕がそうネガティブ寄りに思うのか、ネガティブなイメージの人が多いのか書いていきます。
ネガティブな理由① 視野が狭い
オタクはもちろん好きな事に関しての知識は非常に深く、いろいろと考察したりしています。
ですが、それ以外のことになると無頓着な人もいて、周りからの印象を気にしない人もいます。
もちろん全員ではありませんが、中には
- その価値観を押し付けようとする
- 自分の好きなものを理解しようとしない人の話に耳を傾けない
- 理解しようとしない人が悪い
- マイナスイメージで偏見の目で見る人が悪い
- どうしようと自分らの勝手だ、迷惑かけていなければOK
といった考えの人もいます。
確かに、自分の好きなものを通すことは決して悪くありませんし、僕も誰かから否定されたところで、自分の好きなものは好きと言い切ります。
ただ、それは「相手の意見を受け入れた上で」というのが前提です。
「あなたの意見も確かにわかるけど、自分は違う考えを持っています」といった「議論」という考え方です。
ですが、中には「自分とは住む世界が違うから、そんな奴らは無視」みたいな考えの人もいます。
そして、「理解しようとしないやつが悪い」という考えをする人もいますね。
それで我が道を行くのも否定はしませんが、どうせなら理解してもらった方が良いと思うのは僕だけでしょうか。
もちろん、「媚(こび)を売れ」と言っているわけではありません。
でも、理解されるための努力は必要であり、そのために行動する事が大切だと僕は思います。
もう少し視野を広げていくことがオタクには求められると思っています。
そして、その視野の狭さからくる、理解されるために必要な努力が次です。
ネガティブな理由② 服装
これは最初にも言った通りで、「オタクこそカッコよくあるべき」ということです。
やはり、服装にある程度気を遣えない人が理解されるというのは難しいです。
「人間見た目が大切」といいますが、結局のところ「見た目が9割」です。ドライですがこれが現実です。
服装がある程度整っていない所で、9割損をしているということです。100点満点のテストで9割落としたら、どんなに頑張っても10点しか取れません。
それで、「自分は頭が良いんだ!!」って言っても誰も理解してくれないのなんて当たり前ですよね。
容姿は難しい所がありますが、服装は自分次第で変えられます。
90点取れとは思いませんし、僕もセンスがあるわけではありませんのでそれは無理です。
でも、せめて約半分の50点くらい取れれば、あなたの事を理解しようとする人は出てくるかもしれません。
ネガティブな理由③ 排他的
これは①の「視野」の項目とも被る部分もあるでしょうが、自分の好きなものを否定された時にムキになったり、他者を寄せ付けない所がある人もいます。
そんな人を理解しようとする人はいません。
やはり、そういう意見や考えを受け入れた上でどうするか考えて行動していくことが、オタクとそうでない人が共存する方法なのではないかと思います。
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芯の強さを持っているか
自分の好きなもの、オタクの対象を否定する人はたくさんいます。
そういった人に遭遇して、全否定ばりに言われてもなお、その対象が好きか、好きでいられるか。
そして、否定する人はいるものだ、そういった人に理解してもらうのは難しいと思い割り切れるか。
さらに、少しでも理解してもらうべく行動する。
「別に理解なんてしてもらう必要はないよ」と思うかもしれません。
ですが、あなたの気持ち1つで、それによって1人でも理解してくれる人が出来れば、その対象のイメージが良くなるわけです。
イメージが良くなるという事は人気につながる。そして、理解する人が増えることは、最終的に自分が理解されやすくなるという事に繋がりはしないでしょうか。
巡り巡って自分にやってきますし、それがその好きな対象に対しての恩返しというか「愛」ではないでしょうか。
アイドルでも、そのアイドルの人気を上げるためにあなたが行動1つを意識する。あなたが理解されるということは、そのアイドルのイメージも上がる事になります。
それがそのアイドルに対する「愛」の示し方と取ることは出来ないでしょうか。
理解されることは簡単じゃない
相手からの批判や否定があっても自分のスタンスを貫き通す。
- 努力せずに認めてほしい
- 批判されたくないけど分かってほしい
- とにかく自分のオタク趣味を理解されたい
といった軽い考えで分かってくれるほど世間は甘くありません。
理解されたいと思うなら、まずは理解しないといけません。
- なぜ自分の好きなものは理解されないのか
- 理解しない側の価値観や考え方にはどういったものがあるか
- そもそも自分が理解されていないのではないか
といった事を分からなければいけません。まずは理解する事からですね。
そう考えれば、服装であったりという点は思い浮かぶのではないでしょうか。
そういった事を考えずに、理解しない人たちにネガティブな感情をぶつけてはさらに悪いイメージとなり逆効果です。
あなたのイメージは、そのオタクの対象のイメージです。いわば、オタクの対象となるものがある時点であなたは広告塔のようなものです。
その広告塔が悪い印象なら、その広告の対象の印象も悪くなります。
オタクとして、「愛」を貫くなら、そこを意識する事もオタクとして求められる行動なのではないでしょうか。
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だからこそ「隠す」という選択肢があってもいい
理解されることが容易ではないという事は先ほど解説しました。
ただ、努力をしても限界がありますし、その努力が決して報われるわけではありません。
もしかすると、偏見の目で見られて、職場なら仕事がしにくくなったりする事もあるかもしれません。
であるなら、「隠す」という選択肢があっても良いと思います。
オタク趣味は、気の許せる友人や同じ、似た趣味を持つ友人の前だけにして、それ以外の人には隠してしまうという選択肢です。
あなたの周りの人すべてがあなたにとって重要人物ではありません。
ドラマでも、全員が主役や物語のカギを握る人物ではないのと一緒です。
エキストラやいてもいなくても大丈夫な役の人もいます。リアルの世界だって同じです。
あなたの人生のドラマはあなたが監督であり主役です。にもかかわらず、エキストラに気を遣う監督なんていると思いますか?
(そういう監督はいるかもわかりませんがあくまで一般論です)
エキストラに理解してもらおうと心を消耗する必要はないと思います。少なくとも僕はそう思っています。
なら「隠す」という選択肢があってもいいじゃないかと思うわけです。
理解してもらおうとすることは、好きなものへの「愛」になるかもしれませんが、それによってあなたが犠牲になっては元も子もないです。
だからこそ、自分の中だけにとどめておく、そういう選択も大切だと思います。
まとめ
いろいろ長ったらしく書きましたが、要は「人間関係」だと思います。
相手の事を見て、知って、その上で仲良くなったりしていく中で、その人に理解してもらうようにするか、そうせず隠すか。
自分の考えもあるでしょうが、相手のオタクに対する感じとのバランスを予想しての行動が必要です。
そう考えると、オタクとして生きるのは時としてつらく感じることもありますし、実際に僕はこれで本当に悩みました。
今はある程度割り切っていますし、オタクの自分をさらけ出すのは人を選んでいます。
どういった距離感が正解と言うのはないので、いろいろ試行錯誤してあなたに合った距離感をつかんでもらえたら良いのかなと思います。
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