にっしん(@nisi_otabloger)です。
以前、ネクタイの歴史について記事にしましたが、ネクタイは基本的にスーツと合わせるものですよね。
もちろん、クールビズの時はスーツの上着は着ませんが、基本的な服装や会社での大きなイベント、結婚式などでは着ますよね。
スーツもどこから始まったのか。それについて色々調べてみました。歴史から順を追って紹介します。
はたしてネクタイと一緒に文化になったのかも考えてみます。
あらかじめお知らせすると、色々調べてみて諸説あるのと、起源としているのが人によって異なりますが、最も古いと思われるものをここでは「起源」としました。
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最初は農作業技、軍服や貴族のコートとして
元となるものは「フロックコート」というもので、15~16世紀のヨーロッパで着られていました。
最初は騎兵の軍服として使用されたものが、貴族のコートや農民の作業着として普及しました。
例えば小学校入学の時の定番であるランドセルももとは軍用のものが起源であるように、軍用のものが元になっているケースは非常に多いです。
ミリタリー柄もそうですし、ネクタイも最初は傭兵が身に付けていたものなので、軍用のものが日常に使用されるケースは多いように思います。
フランス革命で腰丈の物に
最初のスーツは上下揃ったわけではなく、上着だけでした。
初めはコートのような膝丈まであるものだったのですが、1789年フランス革命でサン・キュロットという人物が腰丈のジャケットを着始めたのが最初です。
コートを改良してジャケットに
腰丈のジャケットに影響を受けたかは分かりませんが、19世紀中頃、当時のイギリスでの日常着であるフロックコートを改良したもので、膝丈を腰丈にしてくつろげるように改良しました。
これらを「ラウンジジャケット」などと呼ぶようになりました。
スーツの起源ともいえる「ラウンジジャケット」ですが、当時はイギリスの貴族階級の人が来ていたものです。
名前の通り、ラウンジルームで着る服のことで、1848年に生まれました。
といっても、当時のラウンジルームは今で言えば「男性限定バールーム」みたいな場所だったようです。
イギリス貴族はディナーの後は男女分かれて部屋に行っていました。
そして男性はラウンジルームという、タバコ(当時は葉巻)にお酒を飲んで話をする場所でした。
その場所で着ていたのがラウンジジャケットです。
貴族は何度も着替えていた
なぜ、そういう場に着るものがラウンジジャケットなのか。と思った方もいるはずです。
それは、場に応じた服装をしていて、
- 散歩なら散歩用の服
- 乗馬するなら乗馬用
- お茶の時はお茶用の服
- ディナー用の服
- ラウンジルームでの服
ととにかく着替えていたそう。
大変ですね。僕はそんな生活嫌です(笑)
なので、ラウンジルーム用の服というものがあって、着やすいようにラウンジジャケットができました。
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どんな形状だったか?
形状は今で言う、ファッションでもよく着られるジャケットと同じような形で、着丈が燕尾服(えんびふく)と比べて短いものでした。
燕尾服というのは、後ろの裾の長いフォーマルな時に着るものです。
オーケストラの指揮者やマジシャンなどが着るものなイメージなのではないでしょうか。
これだと、ラフな時には着にくいですよね。そこでラウンジジャケットに注目が集まりました。
「背広」と言ったり、「スーツ」と言ったりする人もいるかと思いますが、若干意味は違うようです。
スーツ:上下揃った衣服の総称
背広は:主に男性用の上着
をそれぞれ意味します。
今で言えば「ジャケット着用」というのが「背広」といった感じの意味でしょう。
「スーツ」というと、「生地やデザインが上下ちゃんと揃った服を着る」といった意味になるので、それぞれは意味が異なると考えることができます。
ラウンジジャケットがラウンジ以外でも
1860年ごろ、気兼ねないところで着ることのできるラウンジジャケットが好評になり、ラウンジルーム以外でも着られるようになりました。
そうなり、徐々にラウンジジャケットが着られるようになったようです。
上だけでなく下も合わせるように
ラウンドジャケットが着られるようになってから、下のパンツとベストも同じ生地で柄のものにしてしまってはどうか、という流れになりました。
そこから一律で合わせるようになり、今のスーツの原型となったということですね。
となると、1860~1870年くらいの間に今で言われるようなスーツというものが誕生したということになります。
それを考えると、スーツの歴史は約150年以上もあるスタイルと言えます。
思った以上に長いなと思いました。ここまで一つのスタイルが長く、しかも世界的に通用しているものはなかなかないですよね。
中学生や高校生は「ブレザー」というものを着ますが、ジャケットとの違いとはなんでしょうか。
これは「上着でボタンが金属性などの特徴を持つもの」を「ブレザー」と呼ぶそうです。
たしかにブレザーの制服は金属のボタンが付いていて、ボタンに校章が付いているケースが多いですよね。
世界にはどのように広まったのか?
イギリスで始まったものラウンジジャケットがどう世界に広まったのか?
イギリスなら世界的に影響があるでしょうから簡単に広まっただろうと想像つくかもしれませんが、スーツの誕生した1860~1870年ごろから時間はかかっています。
アメリカでは1960年代、大学のアメフトリーグ(アイビーリーグというアメリカ名門8大学のリーグ)の学生がファッションとして築き上げました。
19世紀後半、アメリカではビジネスに用いられるようになりました。それが逆輸入のような形でヨーロッパに広まったようです。
そしてそれが20世紀までには世界的に普及しました。
やはりイギリスとアメリカの力は絶大ですね。お互いの文化とセンスによって今のスーツの文化が出来たということです。
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いつ日本に渡ったのか?
スーツは幕末から明治維新にかけて広まったようです。
日本に紹介されたのは1867年(慶応3年:明治元年の1年前)の片山淳之介が書いた「西洋衣食住」で紹介されました。
カタカナ読みではなく、初期のフロックコートを「割羽織(わりばおり)」、今のビジネス用の背広(スーツの上着)を「丸羽織」として紹介されています。
そして、1871年(明治4年)に洋服が正装と定められてからスーツが導入され始めましたが当時は和装が主流でした。
「背広」と呼ばれたのは1887年(明治20年)に大家松之助の「男女西洋服裁縫独案内」で表記されています。
そして、背広は明治末期から大正はじめにかけて普及していきました。
大正時代になると一般化し、スタンダードになりましたが、当時はオーダーメイドだったので、庶民に手が届くような品ではなかったようです。
この頃は日本も国際社会との関係が増えて、お付き合いのためと和服だと動きにくいという考えがあったのかもしれません。
それが相まって徐々に普及していったのでしょう。
昭和から戦後になり普及へ
昭和15年に国民服令により人々の衣服にも制限がかかったものの、戦後オーダーメイドから大量生産品になり、広く普及するようになりました。
そして
1960年代:アイビールック(体のラインがわかるタイトなもの)
1970年代:えり幅の広いスーツに太いネクタイを合わせるもの
1980年代:ダブルボタン
1990年代:3ボタンスーツ(1930年ごろまで主流だったスタイル)
という形で時代とともに変化しました。
今はタイトになったりするなど、カジュアルファションと同じように時代とともにスーツも変化していきました。
まとめ
現代ファッションを取り入れながらも、原型は崩していない、やはりスーツは本当に長い歴史を持った服装だなと感じます。
これからもしかするとスーツが形を変えるなんて事はあるかもしれませんが、このスーツの形は今も残り続けるのではないかと思います。
最初はコートから裾を短く室内用に、そしてそれが外に出て、生地を合わせるようになり、今では冠婚葬祭やビジネスなどの公式な場でのアイテムとして定着したスーツ。
セミオーダースーツは持っていますが、自分用のものをひとつでも作っていて良かったなとちょっと思いました。
今でも、オーダーメイドは高いですが、既定の長さなどから自分に合った長さを選択するセミオーダーならやや安く作る事も出来ますよ。
自分だけのスーツって感じで気持ちも変わるので一度作ってみてはいかがでしょうか。
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